アマンダと千葉洋三師の軌跡
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昭和15年9月24日 東京生まれ。
戦中戦後の混乱仲、群馬、千葉、などへ疎開。高校時代から自転車に熱中、法政大学哲学科出身。

1966年石渡製作所入社。クロモリのフレームセットを、017,019などと名付けて開発・販売。(フレームの重量が各1700、1900g)。アマンダスポーツの原点がスタートする。

1年後、岡本造船所関連のCRPインダストリーで、レーシングヨットのディンギーなどの製作部門に。ここでカーボンファイバー(CF)に接することになる。

石渡製作所での仕事を継続中、1971年、製作販売した022,017を使用したファンシュプリンゲル選手がボルドー=パリ620kmを16時間19分で優勝。また1973年の世界選手権で、当時圧倒的な世界最強サイクリスト、エディ・メルクスを、やはり017を使ったジモンディが下す“大事件”があった。ここで一気に世界に石渡とChibaの名声が。

これを一つの契機として、東レとの共同研究開発が始まった。1973年、CFによる自転車を製作、特許出願。1975年には石渡・東レ共同開発のCFチューブセットを発売。

1976年のモントリオール五輪で町島選手用017パーシューターを製作など、クロモリの魅力は続いたが、時代を先駆けて、アマンダはすでに新素材に目を向けていた。1982年には40トンカーボンのフレームを開発、翌年には市川雅敏選手がCF・ボロンファイバーのロードフレームを使用。

フレームだけにこだわらず、1984年にはCFによるディスクホイール第一号を製作、三菱しレーヨン研究所とカーボンのスポーク、ウカイリムとカーボンリムを共同開発した。

海外からの要請も増え、1987年にはスポーツの科学研究が最も進んでいた旧東ドイツからもCFのマシン、ホイールのテストを依頼された。

面白いことに自動車メーカーのホンダ、スバル、マツダからも、エネカー開発チームからもディスクホイールの共同研究の要請が届き、応諾。結果は大成功で、世界記録を連発する成果を上げた。またJR東日本の要請で検査官用のサイクルトロッコを設計製作した。

1995年、ついにCF80+40のハイブリッドチューブにまで到達、競輪の飯島規之、稲村成浩選手のトラック用フレームを製作した。

アマンダの研究開発作業はCFに留まらず、人体の強化開発にも領域を広始め、翌1996年にはサイクル用トレーニングマシンとして最も定評のあるSRMシステムの国内販売を開始した。自転車とスピードスケートの強化は酷似した面があり、2001年には冬季五輪スケートの日本代表、清水、武田両選手がアマンダを訪れ、いち早くSRMを導入した。この時、千葉師は二人が五輪メダリストなどとは知らず、ややぶっきらぼうに応対した逸話は有名だ。誰に対しても分け隔て無のない人である。

自転車では、CFサクラディスクホールのユーザー、藤田選手が、2012年のロンドンパラリンピックで、サイクル関係では日本唯一の銅メダルを獲得。

独自の総意研究、数多くの作例をサイクルショーほかで発表し、サイクルストだけでなく業界やマスコミを驚かせてきたが、2006年には「ものつくり」精神の普及を基盤に考えた木製自転車も、「自作用の例作」としてデビュー。サクラ、ヒバ、クルミとCFの複合構造によるもので、この精神こそが2019年から始まった「ミニラボ・アマンダ」にも活かされている。

さらに、現在は筑波大産総研との連携で、伝達効率計測をハード、ソフト両面からの研究開発をすすめている。これはヒューマンパワー、マシンの硬性、振動伝達の動的計測によるレーシングマシンの理想値を探る、世界に例を見ない新領域の研究開発である。                                       

 




 なお、岡本造船所で仕事をした関係から、レーシングカヌーなどにも造詣が深く、木製のパドル、船体の設計製作だけでなく、自身もサーフスキーで葉山=江ノ島を漕ぎ渡った経験も。「軽量の新素材も良いが、長距離では木製のパドルの方がはるかに効率がよくなる」など、一部バイシクルでの発想と同期している部分があり、サイクルとカヌー両方を愉しむ人たちからは、その面でも深い尊敬を集めている。