今村選手のびっくりアワーレコードに寄せて
スイスチーム・メカニシャン、ブリュールマンからのデータから
52.468Km
(60x15) 103.8rpm?
ポイントレース ジュニア世界チャンプの経歴を有するJAPANのスピード系強化選手 今村駿介選手(中央大学、ブリジストンサイクル)のアワーレコード(昨年11月)は、多くのサイクル競技者を驚かせ、喜ばせたことと思う。当方もネットで知った。
https://www.bscycle.co.jp/anchor/blog/2020/11/hour-record.html
アワーレコードについては、私も少なからぬお思いと想い出がある。
中央大学ということで大昔のJAPAN代表 1976モントリオールオリンピック代表だった町島洋一選手へ電話を入れてみた。ただいま自転車で体調不良にしてしまったということで 残念なり。彼はパシュートで当時最もトップレベルに接近した選手。亡くなってしまった森幸春選手によれば 仲間内では”スーパーゴリラ” と呼ばれていたそうである。
ただいまリハビリ中の元チャンプは今村選手のすごいトライアル結果に感激していた。町島選手に電話で聞きたかったこと最終局のいわゆる1000mのタイムについてだった。
これまた昔々のことだがだがスイスナショナルチームのメカニシャンだったブリュルーマン氏にファクシミリで問い合わせたことがあった。ファクシミリでは簡単に答えられぬということで 後日どっさり資料が郵送されてきた。末尾に資料写真を掲載する。
目次
* ロミンガーVSボードマン アワーレコードの対決記録
* 追補 空気圧、ゲージ、チェーンリング
* リッター、メルクス、モゼール
* メルクスの巨大心臓
* 1000m新記録
* 柿木ドクターから「五輪小レジメ」
ロミンガーVSボードマン アワーレコードの対決記録
ブリュールマン氏はロミンガーとボードマンの記録を整理してあった。表を見れば一目瞭然、でも数字だらけなので それぞれ7ページ構成の最初と最終ページを比べてみたい。
ロミンガー | ボードマン | |
1994 11 05 ボルドー海抜100m | 記録 | 1996 09 06 マンチェスター海抜250m |
55.291Km | レコード | 56.375Km |
14:45 | スタート時間 | 18:55 |
27” FIRディスクウイール | 後輪 | 27” Mavic ディスクウイール |
vittoria φ19 20気圧 | vittoria 20気圧 | |
26" FIRディスクウイール | 前輪 | 27” 5本コンポジットウイール |
vittoria φ19 19気圧 | vittoria 20気圧 |
|
COLNA GOスチール 8.3Kg | マシーン | LOTUS CFカンチレバー 7.3Kg |
60x14 x2.105 9.021m | ギヤレイシオ | 56x13x2.09 9.00m |
175mm | クランク | 175mm |
102.148rpm | ケイデンス | 104.366rpm |
10月22日の自己の世界記録を更新した。インデュラインの前の世界記録 53.040Kmを凌ぐ53.832Km | (注) | ロミンガーに55.291Kmと先をこされため天才オーブリーのスパーマンフォームで |
1分10秒596 | 1000m通過 | 1分10秒829 |
4分25秒472 | 4000m通過 | 4分22秒876 |
222(55,500Km) | 走破周回数 | 226(56.500Km) |
1分03秒298 | 最終1km | 1分01秒160 |
*記録の根拠*テレヴィジョン情報から整理 トニー・ネッツリ スポーツ・インフォメーション
ボードマン、オーブリー{93年に51.596kmを記録)のスーパーマンフォームが認められていない。断然このライディングフォームが走りを決定している。
天才オーブリーのライディングフォーム並びにフレーム設計に触発されたモゼールの場合10年前のメキシコシティーにおける自己の世界記録をイタリー国内で凌駕してしまった。
(編集注)UCIの設定した「公式」記録では、現在の世界記録保持者は2019年4月の55.089kmで、ベルギーのビクター・カンペナールツがマーク。アワーレコードは1時間でどれだけ走れるかという正式競技。93年にグレアム・オーブリーが空気抵抗の少ない独特のフォームで51.596kmをマークして競走に火をつけたが、その後、ロミンガーVSボードマン、あるいはオーブリーらのロマン溢れる限界対決は、UCIが規約を変更したために、公式のアワーレコード記録からは外されてしまった。
スイスナショナルチームのメカニシャンだったブリュルーマン氏から送られてきた、資料の一部を公開する。
現在は公式記録を公開することが多いが、競技世界チーム内部からのデータ提供はめったにないことで、アマンダにとっても貴重な資料となっている。
なお、1990年、前橋で開催された世界選手権(トラック競技)に来日し、アマンダとも交歓。写真ジャージ姿は清野選手(日大自転車OB、全日本ロー
送られてきたロミンガーの生データの一部
送られてきたボードマンの生データの一部
~~クランク1回転で進む距離同じならば 大ギヤ有利~~
<太いタイヤへ>
この2人のチャンピオンのタイヤ20気圧です。最も新しいベルギーのアワーレコードチャンピオンのタイヤ空気圧は16気圧まで落ちてきました。タイヤを先輩方よりも太いものに替えて伝達効率をあげたのではないでしょうか。
タイヤ踏み面形状がマルに近いほど転がる 自動車会社の研究所各チームが凌ぎを削ったクリーン&セーブカーレースに於いて 軒並み太いミシュラン エコランスペシャルタイヤだった、本田鈴鹿事業所チーム1200を筆頭に
全て動輪は20インチ木曽檜 CF Alハニカムディスクウイールだった。
(ですから勝手に その様に太いタイヤで適性空気圧であってほしいという想像です)
<圧力ゲージ>
私たちは1980年代の後期から振動調査のために デジ タルの空気圧ゲージを使い始めました。最初のゲージは19.7キログラム平方センチの最大計測値の検査表付きでした。。そうこうするうちに世界中の圧力表示がキログラムからパスカル表示に定められてしまい大いに戸惑った。ただいま最高信頼のフロアポンプ ハスキー16気圧に取り付けた圧力ゲージは2メガパスカル MPaとなっております。このメーターのライフは10年程度で 現行品は三代目です。毎回修理不能で交換となります。
<ヘリウムガス>
ローミンガーは慣れない高圧タイヤのせいでしょうか 最初のコーナーでクラッシュしたそうです。でも乗りこなすと見事な世界記録樹立 フロントタイヤ26インチで27インチに比べて投影面積が4%以上小さいものの いまだにすごすぎる記録です。
メルクス以前のアンクティルのトライでは空気の替わりに7分の1しかない軽量のヘリウムガスだったそうですが フロントだけでしたら納得です。リヤウイールには慣性モーメント値小ならば良しとはならない。
<チェーンリング>
2人のチャンプのトライの要素はほとんど同じなのですが
その違いは
リッター、メルクス、モゼール~~
<英雄たちの挑戦データ>
ロミンガーとボードマンの選んだトラックはシュールマン家という親子孫三代に渡って
ロミンガーのライディングフォームは北アメリカ大陸横断レースRAAM参加者の発案?によるアタッチメントハンドル。二の腕が露にさらされているものの走行の援軍になっている。
二の腕を畳み込んでしまったり、腕を伸ばし放題にしてしまったのは天才オーブリーである。
こうした 絶大なる空気抵抗対策に対して デンマークのリッターはパワー出力重視だった。
ハンドルを握るアシンメトリックのライディングフォームを推奨した。体がねじれ状態になりパワー出力が上がる
その点ボードマンのトライはリッターからOKをもらえるかも。
リッターを凌いで現れたのは 超人メルクスである。
テンションスポークウイールで夢の50Kmを引き寄せた。
モゼールは前後にディスクウイール装備で 新たな領域に入った。
モダンアワーレコードの嚆矢 まさにバイシクルの文字道理 ”ふたつのワッパ”
モゼールのスペシャルマシーンには動輪直径700mm、前輪650mmが装着された。
前輪には こなせるのならば超軽量が望ましい。
1976年モントリオールのパシュートチャンプ グレゴール・ブラオンは熊と呼ばれていたそうだが使いこなしたタイヤの重さ 75g とあった。
リッター | 48.653Km | 180cm/69Kg | 1968年メキシコシティ | 7.56m 54×15 |
メルクス | 49.431Km | 184cm/75Kg | 1972年メキシコシティ | 7.79m 52×14 |
モゼール | 51.151Km | 181cm/78Kg | 1984年メキシコシティ | 8.35m 57×15 |
オーブリー | 52.719Km | 180cm/72Kg | 1994年ボルドー | (上記mはクランク1回転での) |
ロミンガー | 55.291Km | 177cm/65Kg | 1994年ボルドー | |
ボードマン | 56.375Km | 177cm/69Kg | 1996年マンチェスター |
伝説のメルクスの巨大心臓
上記のデータでも感銘を受ける人が多いと思うが、自転車自転車競技史上、最大の英雄の1人と評されるめくルスについて、書き足しておきたい。彼のずば抜けたパフォーマンスの一つの要因に、巨大(?)な心臓がある。
この件について、ベルギー在の元ドミフォンレースのスペシャリスト(ポーデュームを賑わせていた)山宮 正氏に問い合わせたところ、以下のような返信を受けました。この項では 山宮選手とアマンダの付き合いについて彼自身が明かしてくれました。アスリートにとっては、実に興味深い内容ですが、彼には今後も新情報を伝えてもらいます。
山宮正氏からの返信
イタリアの心臓専門医GiancarloLavezzaro氏は、2012年に発行された
(私事ですが、東海大時代に湘南クラブの記録会で最初にお会いしてから既に44年に渡っての長いお付き合いになります。
1991 ベルギー
1991アマンダ製
ご質問のメルクス氏、ステインベルヘン氏の心臓に関して、これまで特別にこの話題
以下、内容を要約します。
『イタリアの心臓専門医GiancarloLavezzaroによると、「エディ・メルクスは選手時
この医師の発言に関して、当事者であるメルクス氏は、ベルギーの新聞DeMorgenからインタビューを受けて、驚いた感じで以下の様に返答したそうです。
以上の事からも分かる様に、常人の域を超える巨大な心臓(遺伝的)は、もはや病気であって、いつ突然死しても不思議では無かったということになりそうです。そして、現在ならば健康上不適合となって、自転車競技のライセンスは発行されず、つまりはレース出場は出来ないのであります。
(以上山宮氏)
追補)メルクス周りの話
昔々そのまた昔のメルクスにちなんだアマンダ話ですが
*1984年秋 東京荒川生まれのディスクウイールをメルクスサイクル買い付け
*1986年 アマンダスポーツは外国のチームへディスクウイールの売り込みを試
*売り込みではなく 逆にアマンダからテスト走行依頼したヘルマン監督の東ドイツチーム。ラ ビ クレール以外のチームは買い付けてくれた。
セルキュ監督のベルギーチームはアマチュア時代からのアメリカンチームレース、の僚友 メルクスサイクル オーナーに相談を持ち込んだのだろう。
*メルクス=セルキュ組といったら支配力は群を抜いていてメルクスの引退年の6日間レース3勝もこのコンビだった。セルキュの6日間レースの勝ち星通算85勝に大いに絡んだメルクスだった。ベルギーナショナルチームへの売り込みには “64TOKYOの1000m TTをスタンドから見てました“と添えた。セルキュ金メダル獲得確定は 終局部におけるタチコギ!!
*売り込み当時の1986年 アマンダディスクウイールは バルサコア、CF板 Al
*東ドイツチームのヘルマン監督からのリポートには ただただ異常な軽さとあっ
テストライダーには後にチームパシュート世界チャンプのメンバーだった カル
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メルクスだけではなく 時代を画した名選手たちのお出ましを願った。
バルタリ コッピは番外ですが第二次世界大戦後に大活躍した選手達と思います。
両端部に生年 没年 { } プロフェッショナル活動年
メルクス 45ー{66ー78}-22 (1945年生まれ プロ活動1966から1978年
ルキュ 44?{65?83}ー20
バルタリ 14?{34?54}?00
コッピ 19?{39?59}?60
ボベ 25?{47?62}?83
アンクティル34?{53?69}?87
リック I 世 24?{44?66}ー03
注)リック ファン ステーンベルフェン
1580mlという巨大心臓 マルクス プランク研究所調べ
*メルクス優勝候補だった‘64TOKYO ロードレース模様は横尾双輪館オーナー 横尾 明氏率いる VELO CLUB TOKYOの労作にしっかり記されている。
②
偉大なるメルクス(心臓容積1700ml
世界記録) 75Kg の体重で割算してみると 22.6ml。当時プロロードマンの総数は600名程度。
メルクス 1975年 ケルン高等スポーツ学校におけるエルゴメーターテストでは
1時間走455ワット。
スーパーマンホームのボードマンの場合は440ワット
インドュライン 509.5ワット
ローミンガー 460ワット
*1000m新記録 ドイツから詳報20210911
先ほど ドイツ在の西村さんより電話 その際シュトラッサーが7月18日、とうとう24時間
Christoph Strasser: 1026,215 Kilometer
in 24 Stunden | radsport-news.com
Zeltweg/ Steiermark - zwölf Weltrekorde gebrochen | Christoph Strasser hat gestern nachmittag
am Fliegerhorst in...
猛烈ですね、これは話のとっかかりとしては面白そうです。何が書いてあるかは、以下のような感じです。
18.07.2021|クリストフ・シュトラッサーは昨日の午後、シュタイアーマルク州のツェルトヴェーグにある空軍基地でスポーツの歴史を作った。ウィーンからブリュッセルまでの距離である1000km以上の距離を24時間でサイクリングした最初の人物は、このシュタイヤー人でした。平均時速42.75kmで1026.215kmを走破し、その間に12の世界記録を樹立しました。
ウルトラサイクリングには、屋外トラック、屋内トラック、ロードの3つの24時間世界記録があります。最初の記録は、2020年にルクセンブルクのラルフ・ディスヴィスコールが915キロで保持しています。 クリストフは、2017年にグレンヘンのサイクリングトラックで941キロを走破し、「インドアトラック」カテゴリーの記録を樹立しました。そして今日現在、彼は「ロード」の世界記録保持者でもある。
ストラッサーは21時間6分で、それまでスロベニアのスタニスラフ・ベルストフセックが保持していた914kmの記録を更新した。ストラッサー選手は本日、100、200、300、500、1000キロ、100、200、300、500マイル、6、12、24時間の計12個の世界記録を樹立しましたが、まだウルトラサイクリング世界協会(Wuca)によって正式に確認されていません。
木曜日の午後5時、クリストフはクラウバスの自宅からほど近い、ツェルトウェグの空軍基地にある7.58kmのコースで、世界記録プロジェクトを開始しました。最初からスピードメーターの針が55km/h以上になることもあった。時計仕掛けのようなルーチンワークで、彼はスペシャライズドのタイムトライアルマシンで次々とトップタイムを叩き出していった。
夜はとても順調だったが、朝の9時に雨が降り出し、それが一日中続いた。金曜日の朝、レースの最後の1時間でパンクのためにバイクから降りなければならず、さらに2回の着替えもあったため、彼の総立ち時間は2分でした。
ストラッサーは平均して275ワットの出力を出していました。エネルギー消費量は約14,400キロカロリー、平均脈拍は136回/分でした。マーカス・キンツルバウアー調教師によると、クリストフは24時間の間、身体的な不満はなかったそうです。
38歳のシュタイリアンは、現在、レース・アクロス・アメリカで6回の優勝という記録を持ち、ボレゴ・スプリングス出身で24時間の世界チャンピオンに2回輝いたほか、数々のレースで優勝し、長年にわたり世界最高のウルトラサイクリストと言われてきました。1000キロの大台を突破したことで、彼はまた新たなベンチマークを築きました。
クリストフの人生の大きな夢が実現しました。「雨天にもかかわらず、成功したことをとても嬉しく思い、感謝しています。雰囲気がとても良くて、観客の皆さんが信じられないくらいモチベーションを上げてくれました。最初からとてもうまくいき、12時間後には平均時速45kmになっていました。それからはレースに集中しました。それからは1000kmに集中しました。みんなに感謝しています。そしてもちろん、素晴らしいサポートをしてくれたオーストリア軍にも感謝しています」と、クリストフはフィニッシュ時に笑いながら語った。
「今日は自転車で出かけるのはやめておこうかな。私はこのスポーツを20年間続けてきましたが、今日は栄養の考え方が成功の鍵でした。その魔法のような限界をいつも夢見ていたが、今日その夢が実現した。"
司令官 エヴァルド・パプスト中佐高射砲大隊2のクリストフ・シュトラッサーにも同じことをして、24時間体制で臨んだ。約25人のスタッフで、見事にイベントを運営した。「すでに世界新記録を期待していましたし、4桁の数字がうまくいくのではないかと密かに推測していました。しかし、この天気の中で彼が実際にやり遂げたことは、私たち全員にとって素晴らしい経験となりました。バラックとの個人的な関係もあるクリストフをとても誇りに思います。"
エリートスポーツの分野では、オーストリア軍はオーストリア最大のエリートスポーツスポンサーであり、450名の男女の軍人アスリートを擁しています。2016年からは、障害者アスリートもオーストリア軍と一緒にトレーニングを行っています。
Martin RosenederはChristoph Strasserのプレススポークスマンです。
Am Samstag, 4. September 2021, 08:09:04 MESZ hat Chiba Yozo <amanda_chiba@ybb.ne.jp> Folgendes
geschrieben:
ロードとトラック中距離の両方を高いレ
強化には役立つのでは
東京五輪自転車ロードレース・柿木克之ドクターからの指摘
SRMを駆使してJAPAN代表達を援護してくださるDr.kakinoki よりのオリンピック
オリンピックのオムニアムについては男子、女子ともに4種目目のポイントレー
男子1位 Walls(ロード選手)、男子2位 Stewart(ロードも走るがトラック専門)、
男子3位 Viviani(ロード選手)、男子9位 Kluge(ロード選手)。
女子では、Valente、梶原選手はポイントレースではあまり動けず、3位のWild、
女子1位 Valente(トラック専門)、女子2位 梶原選手(ロードも走るが、トラック
ロード選手は多いですが、ロード選手が有利かというとそうとも言い切れないで
ポイントで活躍した選手たちは、前半種目でポイントが稼げず、ポイントレース
選手のバックグランドを調べてみると必ずしもロード選手が特異的に後半で活躍
とりとめのない雑感でした。