ちょっと一息”TAKE5”

ミニラボの個性派 ”一機当千”コラム 

東京は北区田端駅の近く。
 新幹線の走る土手沿いの路地に入ると、角にこじんまりした製作所がある。ガラス戸に、amandaとある。
 手作りサイクルの名匠、千葉洋三氏の工房である。大きくはない。美麗でもない。

旋盤やフライス盤など、各種の工作機械が、所狭しと並んでいる。ここで、世界で初めてのカーボンフレームや、木製のリムを使ったコンプレッション・ホイールや、独自の銅板コンポジット・ホイールがここで産まれ、欧州の有力チームにも供給されてきた。

日曜日の午後である。機械にとりついているのは、千葉さんではない。

amandaでは、2020年前からこの工房を「ミニラボ」として開放している。自分で自分の自転車を創りたい、パーツを改造してみたい、何か手作りで冒険したい、といったサイクリストに、「ご自分でやんなさい」と、明け渡しているのだ。数人が、思い思いの工作に取り組んでいる。

バーナーが青い炎を上げた。まだ慣れない手つきでフレームの溶接に挑む者、木製のリムと軽量スチールの棒を組み合わせて、オリジナルの車輪を仕上げようとしている者。amandaミニラボの、いつもの光景である。千葉さんが、にこにこしながら、それを見守る。

「左右の角度が何となく合わないなあ」と、小首をかしげながら計測を繰り返している人に、「あんまり、頭で悩まないで、どんどんやってみましょう」と、笑いながら声をかける。他の人も、つられて笑う。「デジタルより目分量だよ」と、誰かが言う。また笑い声。


<<お断り>> ここでご紹介するのは、ミニラボから産まれた、個性豊かなオリジナル・マシンと、製作者のインタビュー・コラムである。2024年3月から取材開始、幾多の当代・歴代”一騎当千”マシンの中から、「たまたま」このタイミングで出会った自作品を取り上げさせていただいたものです。ミニラボからは、他にも特筆したい優秀な個性は作品が生まれています。別項「ミニラボ短信」など、ご参照下さい。
(広報担当 後藤新弥)




*20240616 
快走数学者の四つ股?フォーク


アマンダのミニラボには、時折、変な人がやってくる。坂本聡さん(55)は「フロントフォークは、真っ直ぐがいいか、曲がっているのがいいか」を体験立証したいと考え、、2種類のスチールフォークの製作に取り組んでいる。逗子在住、仕事はIT関係。二股、いや“四つ股”の試みを聞いて、仲間は一瞬、「えっ、なんで?」と不審な顔をする。 




Q まずサイクル歴を教えて下さい。いつごろから自転車に? ――渋谷区代々木上原に、坂がありますよね、あれを急ぎ足で登っていたら、息が切れた。こえはいかん! 立ち止まって横を見ると、サイクルショップがあって、「ああ、自転車なら体力強化できるかも」とひらめいて。いい感じに思えたスコットのアルミを買ったんです。それが18年前。

Q 一気にはまりましたか? ――そうですね。佐渡210KMも5,6回。ツールド東北も170、210KM。東京から三浦半島周回180KMとか。乗るだけじゃなくて、結構いじりまくりましたね。サドルを変えたり、ハンドルを交換したり。「自分流に乗りたい」という意識があって。 

このお方、実は明治大学、数学の博士課程出身。ぼさぼさの髪、印象と頭の中身はかなり違う(笑い)。しかも、オールドファンが喜びそうな話を、よくご存じである 



Q アマンダとの出会いは? ――2013年頃、オーダーで作ってもらおうと考え、アマンダの源流で、当時の日本代表らが結成していた「チーム・ミチホ」(千葉氏の奥様の名前から)らとも関係の深かったビルダー、「ボーグ」ロードレーサー、VOGUEの譜系1|vogue_rider (note.com) でクロモリを発注しました。戸塚の実家に近かったせいで(注=ボーグは東尾久から鎌倉へ移転)。そのうちに、アマンが作り始めたHPで、小林テツジンさんという方が木製のホイールで峠道を走ったら、昔より30分もタイムを短縮したという投稿記事を読み(amanda-sports.com/toko/toko.html)、刺激を受けました。
 さらに2023年のハンドメイドサイクルショーで、清清水さんの自作の自転車やホイールを見て、ミニラボで清水さんや、ユニコーンでも有名な石橋さんにさらに詳しく話を聞いたりして、、、。ちなみに清水さんのは前輪は手組のアンブロシオ・リムのホイールで、後輪が自作の木製ディスク。清水さんの自転車の隣にあった確か山口さんの自作の自転車がジョバンニ木製リムのクロモリバトンでした
 私の前輪はジョバンニの木リムではなくて(千葉さんにそそのかされて)石橋さんと同じように「自作の木リム」(サクラとヒノキの5積層の木リム)で仕上げました。


 
ミニラボとは、そういう所だ。互いの作品や挑戦が、新たな展開に結びついていく。「走る時は1人が好きですが、仲間とあれこれ自転車の話をするのがとても愉快」と言う。2023年夏、木リムの前輪とフレームを作ることに決めた。リムは定番のイタリア・ジョバンニだが、千葉さんにそそのかされて? 珍しいカーボン製のハブを創った。「ルーティンワーク」の枠に収まるのが、嫌いらしい。 

Q 素直じゃないって、子どもの頃から言われてきました(笑い)? ――よく知ってますね(笑い)。通常9本の腕で創るらしいんですが、私は8本で、その代わり一列ではなく、1CMずつ左右交互にオフセットして。 

Q なぜ曲げたFフォークを? ――往年のデ・ローザの、先端を美しく曲げた物に心轢かれていました。それをイメージしたんです。でも、今はみなフォークをストレート。「う〜ん」と迷っていたら、千葉さんが「スレートの方が少しいいかも。しかし両方創ってみれば納得がいくだろう。ここではそういう事が出来るんだから」と。確かに、両方を提供するショップはないですから。 



Q 基本スペックは? ――72度、オフセット50.トレール角は2本とも58に設定しました。まずストレートを造り、次同じ物をエイエイと曲げて、曲線フォークに。ブレーキシャフトからの長さは、通常355CMを、360としました。

目下、作業中。何度も、エンド部分を熱しては、微調整している。独特のこだわり。

Q細部にまでこだわるのは? ――走る部分の美学というか。自分が自転車に乗っているという意識を忘れてしまうような、そういう付き合いをしたいからなんです。

本能のままに、人とマシンが一体化して、どこまでも地平線を目指していく。走る数学者、なかなかの哲学者でもある。




*20240527  <<ユニコ−ンとシングル、独自の走り>>

木製リムが緑色に塗装してある。色鮮やかなマシンだ。それだけでも人目を引くが、自転車乗りならすぐに気が付く。「おっ、シングルだ」。乗りこなすのがなかなか難しい固定ギア。競輪やピスト競技で使う、いわばクロウト好みの仕掛け。
アマンダ・ミニラボの常連、石橋和博さん(52)が、一から十まで、すべて自作した。個性豊かな愛車である。最大の特徴は、ハンドルから付き出した、一本棒



Q 率直にお聞きします、この仕掛けは、何? ――ユニコーンハンドルとも呼ばれていて、私の場合は左手は普通にバーを握りますが、右手でこれを握り、ひじをトライアスロン用の肘当てに於いて、ぐいぐいとやるわけです(笑い)。慣れてくると、実に快適。後輪シングルという設定もあって、上り坂では大きな助けになっています。 

Q 言われてみれば、「ああ、そうかな」とも思うのですが、左右のバランスがとれるんですか? ――実は、すでにアマンダの師匠・千葉さんが、こういうのを造られているんです。2021年のハンドメイドバイシクル展の公式ビデオで、千葉さんがアンシメトリー(左右非対称)の話をされていて、衝撃を受けました。トライアスロンなどでは、両肘をハンドルに乗せるスタイルが一般的ですが、「アンシンメトリーはパワーが出る」という千葉師匠説に共鳴しました。この発想を試してみたくなり、自分なりに研究して製作したんです。 

 ユニコーン、別名一角獣。ギリシャ神話に登場する、ヤギに似た動物だが、一本の強く長い角を持ち、尾はライオンだ。闘うときは象をも倒すと言われ、一方で水を浄化する能録も持つ。誇り高く、夢とロマンに満ちた生き物である。

 ハンドルだけでなく、独自の夢を追い追い続けた石橋さんのオリジナル車に、何か通じるものを感じてならない。 

Q フレームからの設計・製作ですよね。シングル・ギアというのがまた興味深いです。怖くないですか。――固定のシングルというと敷居が高いですが、チャレンジしてみようかなという気持が前からあって、思い切りました。やってみたら予想以上に面白かった。もちろん、ブレーキもつけました。通常は右手でユニコーン、念のため左手でブレーキレバーが操作します。街乗りでは、普通の自転車より安全運転に気をつけますから、かえって危険性は少ないです。

Q 木製リムも凝ってますね? ――これも自作。木曽檜とサクラ材を使ってますが、これがシングルギアとすごくマッチしてるんです。全部自作というのが夢でしたから。フレームはBB下がりが低く取ってあり、フロントフォークも寝かせて、安定性と直進性が高い特性にしています。 

Q自作のきっかけは? ――雑誌を見て、ミニラボのことを知り、自分に特化した自転車欲しくなったんです。ただ、家内の承認がなかなか得られない。そこで作戦を立て、まず17歳の息子を「モノづくり教育」の一環としてミニラボに送り込みました。これは家内も賛成です。なにせ教育ですから。そして息子の作業を家内に見学させたんです。それで家内もミニラボに感動して、アナタも造ってみたら・・と。 

Q自転車歴は長いんですか? ――かれこれ25年です。実は、家内に誘われて乗り始めたんです。DB−1という小径車から初めて、ロードにも乗りましたが、レースとかは興味なかったです。荒川の土手がメーンで(笑い)。でも、それこそ業務の関係で全国、自然豊かな所へ出張するので、そのついでに(笑い)千曲川のサイクリングロードとか嬬恋とか、たまに山も走ります。150kmぐらいのロングも好きですね。


奥深い山に入り込んで、一人得意になっていると、大きな送電線の鉄塔に出くわすことがある。こんな所にくるのは自分だけかと思うが、鉄塔の近くに必ず踏み跡を見つける。送電線の仕事をする人たちである。かすかな跡だが、そこに力強い“人の力”を感じる。石橋さんは、建設関係、送電線の仕事をしている。
出張が多く、十分な休日が取れないことが多いが、息子さんと一緒に走るのを愉しみにしている。「代々木公園とか荒川サイクリングロードによく行きます。家内ですか?もちろん仲良く走ってますよ!」

*20240512<<湘南の風を 親子タンデムで>>

アマンダ・ミニラボでも、タンデム製作は珍しいが、藤村薫さんは「娘と一緒に乗れるように」と、フレーム設計から始めて、「親子タンデム車」を手作りした。

Q なぜタンデムを? ――以前から興味がありましたが、神奈川県では禁止されていた。それが昨年解禁になったのがきっかけで、よし、造ってみよう、と。娘に「どうだ、一緒に乗らないか」と計画を打ち明けたら、うれしそうに乗りたい、とも。でも恥ずかしいからいやだ、とも(笑い)
タンデム車の歴史は古い。アマンダの千葉洋三夫妻もオリジナルで製作し、愉しんだ事があるという。「驚くほど軽快で、東海道走っていたプロの競輪選手をあっさり抜いた事もあるし、上り坂も信じられないほど軽かったよ」と、千葉さんも語る。しかし、娘さんはまだ10歳、普通のタンデム車では脚が届かない。 

Q それでご自分で設計して? ――親子で乗るのが大前提。あれこれ考えましたが、結局、自分で何とかするしかない。見本とか手本になるものもない。そこで、パソコンのCADを使って、、、。問題はデザインよりも強度でした。娘とこいでいて、万一トラブルでも起きたら。専門的な構造計算もある程度勉強して、自転車の弱点、つまり最も強度が必要な箇所を突き止め(参考図赤余る)、こうか、ああかと(笑い)


Q 製作自体は経験が ――アマンダのミニラボで、これが3台目。2020年頃から、スチールで一台造り、次に家内用の、前三角がカーボン、後ろがスチールのオリジナルを造ってみた。ところが、家内は少しも喜んでくれない、乗ってくれない。でも、自分で何か創るのが面白くて、気にはしてませんけど(笑い)。

午前5時。静まりかえった鎌倉市、一軒のガレージに灯りがともる。藤村さん(53)が作業を始める。せっかくの休日だが「娘が起きてきたら、一緒に遊びたい。だから」。その前に、バイスでスチールのパイプを加工し、自分の、いや自分たち親子の為のオリジナル車を製作したのである。溶接などは田端のミニラボで仕上げ、作業時間は合計40時間程度とか。
2024年2月のハンドメード・サイクルショーにアマンダから出品。人だかりが出来た。。前後ともホイールは20インチで、前は53歯、シングル。後ろはフラットハンドルで、12−28。

Q 実際に乗って、娘さんは? ――喜んでます(笑い)。思って以上に速いですね。2人でこいで、時速40KMぐらい。上り坂も強いし。慣れたら、後ろから「もっと速く」とか、「前が見えない」とか(笑い)。娘の脚で上限90回転程度はいけます。この前鎌倉から大磯まで行ってきました。 

親と子。公園に行けば、息子と野球やサッカーをやる内に、つい“教え魔”と化して怒鳴つたりする親もいる。「一緒に遊ぶ」のは、なかなか難しいのである。ましてや父と娘。オリジナルのマシンも魅力だが、前と後ろ、その絆を「手作り」したのが。もっと素晴らしい。別にサイクリストに育てようというのではない。ただ、一緒に風を切って走りたい、それだけだ。けだし、親に出来るのは、いい環境を与えることなのだろう。自然に、己の本能を活かして成長出来るような環境だ。 

Q ご自信のサイクル歴は? ――17歳の頃、ちょうど市民レースが盛り上がり始めて、ツール・ド・ジャパン(日刊スポーツ新聞社主催)のシリーズなどに参加しました。最初の西湖のレースで、初心者クラスでいきなり2位に入って、そのうちに実業団レースにも出るようになり、ツールド・台湾や全日本実業団など、けっこう走りました。

 

身長178CM。柔和だが、乗ったら怖いタイプの、強者(つわもの)である。実は聞き手も西湖のレースの試走役をしたことがあり、当時のださいトレパン姿で、2周32分ぐらいだった。対岸では向かい風が強く、路面も当時から荒れていた。藤村さんは26分台だったと記憶している) 

Q 親子タンデム、奥様も喜んで? ――家内はいいとも悪いとも、何も言いません(笑い)。作業でも失敗がありましたが、最近も計算外のことが、、。娘の成長が早くて、半年前に造ったのに、もうサイズが合わないんです。シートを後ろに下げても限界で。仕方なく、シートポストを加工して。

愉快そうに、アマンダの工房で、またオリジナルのポストを作り始めた。やがて、娘さんが「あたしが前に乗る!」という日が来るに違いない


*20240427
<<自然発生型オールラウンダー>> 
 
奇妙なハンドル形状である。フレームも独特。帆布のバニアが、これも自作らしい、前後にぴたり付いている。太いタイヤは26インチ。人目を引く。最近は「地道も走れる27インチロード」がちょっとしたブームだが、それとは違う。この自転車は、「アウトドア向き」に造られたのではなく、アウトドアそのものから産まれた逸品である。ミニラボで製作したのは、川口真平さん(41)、音響技師

Q ユニークですね。 ――私はアウトドアが好きで、あちこち放浪を(笑い)。特に島を回るのが気持ちいいんです。そういう自分のサイクルライフの一部分に、ストレス無く入り込んでくれる1台が欲しくなって、2022年頃、アマンダのHPを見て、千葉さんに会いに行ったんです。

以前は登山も趣味。12年ほど前からサーリーのクロスバイクに乗り始めたが、友人と(目黒から)富士山へ行ったのが、自作への一つのきっかけになったそうだ。 

 ――150KMも走ったのはその時が始めて。脚が痛くて、頭痛薬のバッファリンが痛み止めに効くかと大量摂取して(笑い)。でも、夜出発して、田貫湖でキャンプして、輪行で還ってきた体験が、大きな刺激になりました。それからサイクルでの旅が愉しくなって。

Q 普通のロードでは、ご自分のサイクルライフに合わない? ――走り始めて、もともと物を造ったり、いじったりするのが好きで、中古の自転車を10台ばかり、あれこれ組み合わせたりしたことも。ただ、山へ行ってキャンプしたり、島をゆっくり回ったりするのには、市販のロードではどうも波長が合わないんです。


Q バッグも自作で ――友人からミシンをもらったので、私の輪行スタイルに合わせたバッグを帆布で造ったんです。千葉さんが、昔、フラットバーにリュックをくくりつける独特のスタイルでツーリングを愉しんでいる写真を見て、こえがいい、と。リヤに直接付けるステーを小さく工夫して、専用のバッグを。最低限の食料と工具、輪行袋を分散して運べるよう、小さなバッグをフロントにも。これもフォークに直に付けるダボを付けました。もちろん、私は着替えなどは持って行かないので(笑い)これだけで必要十分。テントも使わない主義なので、小さく包めるハンモックがホテルです。 

自分の外側からやってくる情報に自分のスタイルを合わせるのではない。自分の内側からあふれ出るアウトドア本能を大切にする。その内側の世界から、本能のままに外側世界に生みだされたのが、この自然発生型オールラウンダー車だ 

Q ハンドルの使い方もご自分のアウトドア仕様 ――以前はドロップの下ハンを握ってましたが、地道を走ったり、「ゆったり」走ったりも出来るのをあれこれ試行錯誤して、日東製の、昔のマウンテンドロップを復刻したものを装着しました。タイヤも、1.75インチ、太くても入るように、チェーンステーを広げた設計で。ギアも前がTAの46、非常用の26。後ろはシマノのXTR(11〜36)、フレームもいろんなジオメトリーを健闘してオリジナルの図面を造って、ミニラボに出かけました。

Q なぜ島がお好きに? ――台湾とか、海外もよく走りに行っていたのですが、コロナで国内に限定され、そこから島めぐりが始まって。沖縄では馬と走りましたよ(笑い)。屋久島、三宅島、どの島も大好きです。日本の島は大体50〜80KMで一周。「風になって」飛ばしたら、あっという間に終わってしまう(笑い)。この自作車なら、いやでものんびりしたくなるし、もちろん快走もする、上りでは緊急用の26丁も使える、その場に応じて、ハンドルのどこを握っても応えてくれる。自分の感性にシンクロしてくれるんです。 

多忙な仕事の合間に、2、3日の休暇をこじ開ける。竹芝桟橋まで自走して、多くは夜行の船で、島へ行く。世が明ければ、いつもとは別の世界が開けている。日常の常識や価値観を断ち切ってします。何がしたいか、脚が自分で選択する。そのままに、走る。ハンモックで寝る。すでにご自分が島仕様なのである。

 ――造って良かったです。作業での失敗もあれこれありました。それもまた、今となっては愉しい体験です。その内、家内用のオールラウンダーを造ります。またミニラボに通います。

*20240310
<<竹の六角フレームで?!>>

 

清水翔太さんは、竹で自転車を創ろうとしている。竹を貼り合わせたフレーム材。前例のない挑戦だ。

 Q 竹でと聞くと、太い竹を3本組み合わせて前三角を造るのかと、普通は思 いますね。。
 ――それも考えました。でも、それだけじゃあ何か物足りないと思って。

Q 六角形のフレーム材ですね、これは世界初、大変な発明!
――簡単に言えば。割り竹を6本、60度角で、六角形に組んだものです。1辺が20mm。エポキシで相互の面を接着。組み上がりは直径40mmにもたらないくらいの六角棒です。

Q 大変な作業だったでしょう
――作業より、これだ、と思いつくまでが長かったです。実はamanndaに来始めた頃から、竹を使おうという漠然とした気持ちが頭の中にあって。単体の竹でも試してみましけど、ずいぶん悩みましたが、あるときふっと、ひらめいたんです。子どもの頃、父親が渓流釣りをやっていて、竹竿の自作の本が本棚にあった。竹を三角形に組んで造る、珍しいもので、工芸品のように美しかった。子ども心に、こんなのが自作できるのかと、衝撃を受けたことがあります。それをふっと思い出して。

   瞬のひらめきから、六角材は産まれた。しかし、本当は“一瞬”ではない。蓄積されたあらゆるノウハウや経験の鍋から、アイデアが、まるで偶然のような顔をして浮かび上がってくるだけだ。自転車屋だったライト兄弟も、きっとそうやって飛行機を創ったに違いない。

Q しかし、竹と言っても種類は多い。特殊な竹を使う必要がある?
――特産品を? いえ、2万円の特売品です(笑い)。長さ180cmの割り竹、ただし48本まとめないと売ってくれなかった。仕事は医療器具関係。目下は一人暮らし。実際に使ったのは、失敗も含めてその三分の一かな。今も余った竹が数十本、部屋を占領してますよ。困ってます。
Q 割り竹の加工は夜?
――はい、部屋でね。ミニテーブルソーを買い込み、やすりやかんなや切り出しナイフ、やすりで材をそろえました。ただ、両端はフレームパーツに合うように、内側をくり抜かなければならない。このくり抜きは、amandaの機械で、安堵主任に手伝ってもらわないとないと出来なかったですね」



Q 実に美事で、頑丈そうですが、ミニラボ仲間の反応は?
――強いねじれの負荷がかかったときにどうなるか、は未確定。外側にカーボンを巻けばいい、いやそれじゃあ竹が見えない、竹細工の意味がない、麻糸で縛ったらいいだろうとか。けっこうイジラレてますよ、他人ごとだと思って(笑い) 

Qミニラボはいつから?
――4年前、開設当初からかな。製作はこれが4台目です。初めは普通の700Cのオリジナルの頑丈なスチールフレームのロードで、コンポジットの後輪も造り、使っています。次に700cの折りたたみ。3台目は、最初の700CをもっとT軽量に仕上げたロード。自分にも独自の自転車が造れることが分かってくると、ただの手作りから、ちょっとずつ冒険志向の度合いが大きくなって

Qしかし、よくこんな馬鹿な(失礼)ことをやろうと決心しましたね。
――木製フレームも考えましたが、今ではそう珍しくない。はっきり言って、それじゃあつまらない、もっと明確に“自分らしい”チャレンジをしたいと。もっとも、竹なんて無理だろう、だれもがそう思ったし、私も確信はなかった。ところが千葉さんが、おお、それをやりましょう、それでなくっちゃ、と焚きつけてくれて」 

  ちなみに、カーボンをサイクルに採り入れたのは、千葉さんが世界で初めてだった。80年代、東レをはじめ、大手メーカーが話を聞きに来て、開発に協力した。今も最先端の位置に、カーボンはいる。その最強軍に、若武者が竹槍で挑む。黒澤明の白黒映画を思い出す。しかも、カーボンの生まれ故郷のamandaから、挑みかける。
 
世の中、面白い。

 Q サイクリスト歴は長いんですか?
 ――実は、ミニラボに来るまでは、乗ってなかったんです。ただ「ものつくり」が好きで、折り紙も得意だった。故郷の神戸から東京へ転勤になって、「何か面白いことやってみようかな」と、ハンドメイド・サイクルショーを覗いたのがきっかけに。

 Q 製作実作業期間は?
 ――約半年ですね。また転勤もあるので、6月までには乗れるようにと思ってます。後ろ三角もスチールで自作中ですが、毎週は来れないので、どうなるか。ねじれ強度も不確定だし。でも、不確定だからこそ、面白いんです

 Q 失敗も?
 ――トップチューブとダウンチューブを勘違いして、せっかく創ったのに短く切断してしまったり。そのときは頭が真っ白に。作り直しです。

 
  しかし、ミニラボではある意味で日常茶飯事である。あ、やっちゃった、の叫び声が響くと、みな同情し、みな大喜びする。
ミニラボ、万歳である。


  ちなみに、この清水さんの挑戦は、その後多くのサイクリストやミニラボ仲間に影響を与えた。”元祖ミニラボ”の1人である。

end